DaiChanのブログ

文系大学生DaiChanの雑記ブログです。

人生をごく簡単に振り返って 〜東京から沖縄へ〜

こんばんわ。今回は2回目の投稿になるので、僕がこれまでどのような人生を過ごしてきたのかについてお話ししようと思います。前回の投稿でも、似たような内容について書いていましたが、前回は主に大学生活についてのみ書いていた感じなので、今回はもう少し時間を遡って、僕が生まれたところから書いてみようと思います。

 

僕は、東京都で生まれました。両親は二人とも沖縄出身ですが、結婚した後に出稼ぎのために上京していたため、僕がそこで生まれることになったのです。

 

東京都の大田区という場所でした。23区なので、東京の中でもかなり都会になるのですが、僕が住んでいた場所は住宅街で、下町の雰囲気が漂っており、今思い返してもとても良い場所でした。商店街ももちろんあるのですが、それ以上に僕の記憶に残っているのは近所にあったお米屋さんで、そこの煎餅が美味しかったのを覚えています。

 

しかし、両親は常に不安で神経質な様子だったのを覚えています。何せ田舎から上京してきた核家族ですから、自分からすすんで友人を作るようなタイプの人間ではなかった両親は、家族なので完全に一人ではないにしても、なかなかの孤独感を味わっていたのだろうと思います。

 

実際、箪笥に入っている当時の家族の写真を見ても、父親も母親も、そしてそれにつられてなのか僕も、神経質で不安そうな表情をしています。

 

当時はバブルの時代でした。僕たち家族を含め東京に住んでいた人たちは、特にその恩恵を受けていたような気がします。僕が生まれるまでは、両親共働きだったので、そこまでいい仕事をしていたというわけではないのですが、お金はかなり入ってきたようです。週末になると、毎週のようにデパートに行って、食事をしたり、洋服や雑貨や本を、あまり予算を気にすることなく、買っていたそうです。

 

お金とモノには満たされた生活を送る一方で、都会での生活に疲れたのか、母親は次第に弱っていき、母親は沖縄の実家に帰ることになり、僕も母親と一緒に沖縄に行くことになりました。

 

それから今に至るまで、僕と母親は沖縄で暮らしています。父親は一時、沖縄に帰ってきて、一緒に暮らしたりもしましたが、一年も経たないうちに東京に帰りました。母親からあとから聞いた話によると、その時には両親の仲がだいぶ悪くなっていたようです。まあ、聞かなかったとしても、子供ながらにわかるくらい、悪かったのですが。

 

そして、僕が高校1年になった時に、両親の離婚が成立しました。離婚が成立するまでは、僕たちが十分に生活できるだけのお金を父親は東京から送ってくれていたのですが、離婚が成立してからは最低限の養育費だけになりました。沖縄では、離婚した後、養育費が払われないケースがほとんどなので、僕はかなりラッキーなケースではあったんだと思います。ただ、そうは言っても生活は厳しくなりました(笑)。

 

前回の投稿で、僕は自分の家庭が裕福ではないという話をしたと思いますが、その原因はこれです。

 

数年前までは、自分が不幸であるとか色々考えていました。

 

しかし、僕も一人前というにはまだまだ程遠いものの、だいぶ大人に近づいたのである程度割り切っています。そして、このような現状も受け入れて、出来ることからスタートしてやっていくつもりです。

 

自分が思い描いている理想の生き方に少しでも近づいていければと思っているし、そんな感じでいきながら人生を楽しみたいなーっていう感じです。

 

今日はこのペンを置きます。なんか前回の投稿に続いて、暗い話が多くなってしまっているので、もう少し明るい話も出来るように頑張ります(笑)。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。